2010年12月30日木曜日

今年一年を振り返って

Aです。

年末の休暇をもらったために、年末年始の買い出しへ行ってきました。やはり日本人の年末年始に必要な食材を仕入れるには"Mitsuwa"しかありません。朝からBの運転で行ってきました。

数日前の大雪にもかかわらず、ニュージャージーからニューヨークにかけて、道路の流れは比較的スムーズでしたが........

Mitsuwaの店内は人、人、人。
アメリカ人がこの時期にわざわざ伊達巻きを買いに来なくても.....

それでも、お目当ての定食、抹茶スイート(B)は無事済ませ、新たに古本屋を開拓し、ほぼ1日費やしての買い物をしてきました。Bは帰りの車中からひたすら読書を続けています。

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Mitsuwaへ向かう車中で、Bと今年一年を振り返ってみました。A、Bともにペンシルベニアへ移って、新たな環境でのスタートであっただけに苦労も多かったのですが、何とか乗り切ることができたというのがお互いの一致した感想です。

アメリカ生活を開始して2年半が過ぎましたが、やっとスタート地点に立つことができたという感じです。これまでは、言語や生活などの壁を克服することで精一杯であったというのが正直なところです。

今年の目標(resolution)は何だったか?という話題になったのですが、どうやらお互い今年は目標を掲げるのを忘れていたようです。

自分の”2年前”の目標は””でした。これには”己に勝つ(克つ)”という意味も含まれていますが、それよりも”アメリカ(人)に勝つ”という気持ちが強かったと記憶しています。

当時は日米の診療の違いに悩まされ(幸か不幸か、今では何も感じなくなってしまった)、フェローとしてのリーダーシップを示すどころか、外科レジデント達になめられないようにひたすら教科書や専門医試験の問題集をこなしていました。そんな中で、”負けてたまるか”という気持ちが前面にでていたのは間違いありません。


いきなり外病院(200kmくらい離れている)でのローテーションで
最も辛い時期に車中でよく流れていた。

それから2年間経って、日々のストレスはかなり減りました。これは、自分の成長よりも、”慣れ”の要素が大きいと思います。どんなに苦しい環境にも時間が経てば慣れるものであると実感しました。慣れほど怖いものはないともいえますが。

ちょうど2年前の年末休暇には、病院のカルテ室でデータをひたすら集めていたのですが、そのデータをもとにした小さな研究を、やっとのことで論文採択までこぎ着けました。協力してくれた医学生は来年夏にレジデンシーの応募が迫っています。微力ですが彼女の履歴書強化になったのではないかとホッとしています。





2010年12月28日火曜日

湯たんぽで節約なるか

Bです。

念願の湯たんぽ入手。

寒い夜についつい頼ってしまう暖房、冬休みに入って家にいる時間が増えて稼働率の上がった暖房。かかる費用が気になって気になって。今晩から湯たんぽでどの程度節電できるか挑戦してみます。

寒さに強いAは必要ないそうですが、私は湯たんぽで育ったので一人感動しています。久しぶりに足がぽかぽかだ。昼間もこれに足を置いて過ごせばついに暖房いらずか!?と過剰な期待を寄せます。私が湯たんぽなら、湯たんぽ冥利に尽きるというものだ。。。



2010年12月25日土曜日

メリークリスマス!

Merry Christmas


今日はAのリクエストでコロッケを作っています。出来上がりはまた後ほど。

って、何故に突然つぶやき系ブログ?。。。実は、考え過ぎて悶々としているBにいつもながらのAのアドバイスがありまして。「つぶやけるところからつぶやけば?」。。ま、そやな(^_^)。と思って書いてます。

"Between stimulus and response there is a space. In that space is our power to choose our response. In our response lies our growth and our freedom"
- Victor Frankl

こちら、連日氷点下にも拘らず、ホワイトクリスマスにはなりませんでした。

でも、先日日本から届いたカードを飾ってホワイトクリスマスを迎えたいと思います。本当にどうもありがとうです。

またお返事させてください :)

2010年12月18日土曜日

外科研修と医療の質 その1

Aです。

現在の外科プログラムでは、Christmasの今週末とNew Yearの来週末に分けてレジデントは、休暇をとるようになっています。今週末はインターンが休暇を利用してサンフランシスコに行っているため、自分が移植外科の病棟業務をしています。

現在一緒にローテーションしているブラインアン(仮名)は、形成外科インターンです。生まれも育ちもテキサスです。奥さんは某石油メーカーに勤務しており、現在もヒューストンとペンシルベニアの二重生活を送っているとのことです。彼は学生時代に、自分がフェローをしていたダラスの病院でエクスターンシップをおこなったようで、話が盛り上がりました。

形成外科のレジデンシーに入るのはアメリカの医学生の中でも相当な難関とされており、各メディカルスクールで上位5%以内の成績、USMLEスコアに加え、ある程度のリサーチの成果が必要とされています。彼は父親、兄弟も形成外科医といういわゆるサラブレッドです。おまけに長身、美貌、性格も素晴らしいナイスガイです。

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先日のM&M(morbidity and mortality)カンファレンスで、インターンと上級レジデント、アテンディングのコミュニケーション不足が原因で問題が起こったと予想される症例が提示されました。

当院の外科では多くのスペシャリティーでインターンが術後患者やその家族からの連絡、質問(熱があるけど、お腹が痛いけど、どうすればいいいのか?といった類いの)を受けるシステムになっています。全例上級レジデント、アテンディングに相談するのか否かは、非常に曖昧になっている(と自分は感じる)ため、インターンの適切な判断力が求められます。緊急であると判断すれば、救急室に来るように指示しなければいけませんし、比較的軽症と判断すれば翌日の外来に来るように指示したりという感じです。

当然、判断に迷うような症例では、上級レジデントやアテンディングに相談しなければいけません。しかし、すべて物事がその通りに進まないのが現実であり、彼らが手術で忙しかったり、”夜中の3時にこんなことで起こすのも”と思う気持ちもあり(実際に夜中に不機嫌なアテンディングに対応しなければいけないこともある)、”綱渡り”のような気分で対応することもあり得ると予想されます。

今回の症例では、インターンが自分の判断で、”外来予約”という判断をしたために、治療の開始が遅れたというものでした。幸いその後の経過は良好でした。

このシステムに関して、自分は以前から疑問を感じており、”どうせ上級医に相談するんだから彼らが直接の窓口になるべきだ”というスタンスを持っていました。彼らは普段はインターンに責任と押し付けておいて、後から問題が起こればそれを叱責するなんておかしいじゃないか、とことあるごとに感じていました。

会場の雰囲気としては、概ね自分の意見と同じような方向に向かうようでした。しかし、アテンディングの一人が、”ここで更にレジデント達の研修の機会を奪うような方向に安易に持っていっていいのかはもう一度ゆっくり考える必要があるんじゃないか?”と発言しました。結局その場では結論が出ず、外科のチェアマンからは”各ディビジョンで早急な解決案を提示するように”という指示がなされました。

カンファレンスの終了後、ブラインアンはかなり興奮気味に話しかけてきました。自分はてっきり、現行システムの不満を述べるのかと思ったら、
”こんなのインターンのミス以外の何ものでもないじゃないか!インターンとしての責任が減っても、上級医としていずれはその責任を負う立場になるんだ。その時になって判断できないような外科医が育っていいわけがない!”と全く反対の意見でした。

米国では、弁護士の子供が当直明けレジデントの運転する車によって起こった事故で命を落としたことがきっかけで、研修医の労働時間が見直されました。当直等の長時間労働による診療の質(安全性)の低下を示す研究も多数存在します。その結果、さらなる労働時間の制限や当直中の"nap(昼寝)"ということまで真剣に検討されているくらいですから、”もっと快適な労働環境を”と訴えるdemandingな研修医ばかりかと思っていましたが、そうでもないようです。

医学教育と医療の質(安全)というのは密接に関係しており、奥の深いテーマです。”研修医がいない病院の方が良質な医療が受けられる”、というのは間違いです。これは数多くのデータが示しています。

これからも定期的にこのテーマについて述べていきたいと思います。

Central PA Beer report その2


Aです。

前回のSpring House Brewing Companyに引き続き、ペンシルベニア中部地方のビール工場巡りです。今回はLancasterに工場があるLancaster Brewing Companyです。Harrisburgにも直営レストランがある比較的大きなBreweryです。
1800年代初頭にはLancasterで全米の7%のビールが生産されていたとのことです。


直営レストランはLancasterのダウンタウンにあります。



ここのSamplerはそれぞれのボリュームが多く、とても飲みきれません。



Hop Hog(ブタ)という名前のIPAが看板ビールの一つですが、
今回はこの時期限定で、さらに濃くなったDouble IPAの"BOSS HOG"を。



 Bは、もう一つのseasonal beerであるWinter Warmerを。

Lancasterはクリスマス前の週末ということでかなり賑わっていました。


2010年12月10日金曜日

初雪


Aです。

寒い寒いと思っていたら、とうとう初雪です。去年もちょうどこの時期であったと記憶しています。

今月は移植外科をローテーションしています。基本的に24時間オンコールで、移植や臓器摘出の症例があれば呼ばれます。それでも月4日の休みは確保されているで、心の余裕はあります。

24時間オンコールという状況は、日本の勤務医ならば稀ではないと思いますが、自分は苦手です。幸い自分の研修した病院は、比較的オンオフのはっきりしていた病院であったので(研修医としては)、あまり経験はないのです。

それでも、2年目と3年目に合わせて3ヶ月ほど脳神経外科のローテーションをおこなった際には本当に”24時間オンコール”でした。12月から1月にかけてのローテーションでしたが、以前から述べているように、当時は”休み”という概念がなかったため、年末年始もオンコール状態でした。

救急室からのくも膜下出血、脳出血や外傷に加えて、病棟からのコールもありました。その中でも一番困ったのが、脳外科病棟から”くも膜下出血後の患者さんの瞳孔が0.5mm左右差があります”といったコールです。1mm以下の違いが分かるのか?という疑問を持ちながらも、くも膜下出血後は注意が必要なので、病院にその都度診察に行っていました。研修医2年目までは、ほとんどの研修医は病院内の部屋に住んでいたのですが(研修医がレジデントと言われる由縁)、自分はすでにBと結婚しており、アパートに住んでいた(といっても病院のすぐ横)ので結構大変でした。

それでも、不思議とキツいと思ったことはなかったです。このローテーションのおかげて、ダラスで外科集中治療のフェローを始めた際も、脳神経外科疾患に対しても問題なく対応することができました。

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深夜から早朝にかけて膵臓移植がありました。
午前中に帰宅して一休みした後に、気分転換にドライブしてきました。

最近、ペンシルベニア中部地方の情報誌にCraft beer(地ビール)特集がありました。ペンシルベニアはフィラデルフィアを代表にかなりビール熱が高いのですが、この周辺にも思った以上に工場が多いらしく、その一つのSpring House Brewing Companyの工場へ行ってきました。ここはとても小さな工場であり、直営のレストランはありません。各自Growlerを持参して、ビールを入れてもらいます。

Lancasterから15分ほど南下した普通の田舎道にひっそりとあります。

建物もその辺の農家のよう。


1階が工場で、2階がtap room。


通らしき人たちが集まっていました。


今回は、看板ビールであるPale AleをGrowlerと共に購入。

帰りの車中のラジオはクリスマスソングの特集でした。
これからはアメリカが最も賑やかになる時期です。

2010年12月4日土曜日

一般外科医としての外傷診療

Aです。

氷点下、完全に葉が落ちた樹々、どんよりとした曇空。ペンシルベニアの田舎にはそれほど娯楽もないので、家の中で静かに過ごす、まさに冬眠の時期の始まりです。

こんな時は割り切って、勉強したり、ゆっくり考え事をしたりして休日を過ごします。最近は来年1月におこなわれるABSITEという全米の外科レジデントが一斉に受ける試験の勉強をしています。

一般外科レジデントは毎年受験するため、その都度知識の再確認ができるという利点があります。試験内容も実際に日常診療で出くわすような問題が多く、知識の詰め込みだけで終わるようなこともありません。さらには、比較的新しい文献をもとにした解答が求められます。

例えば虫垂炎一つにしても、

Q. 虫垂炎の穿孔リスクの高い患者群は?

といったいわゆる”知識”を問う問題だけではなく、

Q. 右下腹痛を訴えて来院した20代女性。虫垂炎を疑って手術をしたが、虫垂は正常であった。さてどうする?

というような実際に遭遇する可能性のある問題も多く出題されます。

問われる内容もかなり幅広いのですが、その中でも外傷診療は軸となるテーマの一つです。
自分は日本の外科専門医試験を受けましたが、外傷診療についての質問はなかったように記憶しています。一方で、救急専門医試験には出題されていました。

試験だけでなく、実際の研修でも外傷外科のローテーションは、プログラムによって多少の差はあるものの、かなりの割合を占めます。日本の外科専門医を受験する医師の多くは、ごくわずかの外傷診療の経験しかないと思われます。

以前から繰り返し述べていますが、この背景には”外傷は外科の疾患(領域)ではない”という考えが日本の外科の世界には古くから浸透していることが挙げられます。外傷診療のトレーニングコースであるAdvanced Trauma Life Support (ATLS)は、アメリカ以外の国でも採用されていますが、日本に導入する際に日本外科学会が、スポンサーとなることを拒否したために、日本救急医学会/日本外傷学会が独自のコースを作成したという経緯もあります。

日本の多くの施設では、救急医や麻酔科医が初期外傷診療をおこない、一般外科医に”コンサルト”するというスタイルをとっています。一方米国では、一定の基準を満たすような重症外傷例は外科医が初期から診療に参加するスタイルをとっています。

ナイフで腹部を刺された20歳の男性が、救急室到着後まもなく脈が触れなくなった。次なるステップは?

米国では、この質問に対して答えられない外科レジデントは殆どいません(実際におこなうことができるできないは別問題ですが)。

日本の外科医専門医受験者のどれだけが解答できるでしょうか?