2011年12月1日木曜日

肩透かしを食らう


ことあるごとに書いているけれども、この国の人々とdiscussionする機会ごとに感じるのが、”興味のポイントがズレる”ということ。何事も理論的にすっきり物事をまとめようとする傾向がある。

臨床の場でも、各症例に対するアプローチが非常に”表面的”な気がしてならない。こちらが”興味深い”と思って話を広げようとしても、”はい、次”、みたいな対応をいつもされる。

日本では、症例報告を発表する機会が豊富にあるし、症例報告を受け入れる雑誌も非常に多い。症例報告なんて・・という人もいるが、各症例をじっくり掘り下げて次に活かす日本人の姿勢は必要だと思う。当然、これは自分の限られた経験に基づくものなので一般化して話すことはできないのだが。

ヨーロッパ出身やアフリカ出身の人々はまた、さらに違った”ポイント”を持っているような気がする。それらに必ずしも自分が賛同できるとは限らないのだが、そういった”思考回路のdiversity”が医療の質向上にも必要だろうし、一流といわれる施設ほど”思考回路のminority”に対する門戸が広いと最近感じる。

--------
久々にBです。私も同じようによく感じます。職場、実習先、学生組織、クラスディスカッション、場面や話題は違えど、同じような違和感をほぼ日常的に覚えます。でも、同時に、相手からしたら私は彼らの違和感の原因だろう、とも。「どうしてそんなことに(いつまでも)こだわるの?」と。

今日のグループ課題のプレゼンでもそのような状況でした。慣れてしまっているとはいえ、なんだか不完全燃焼。先月だったか、「もっと、自分を理解させるように話さないといけない」と言ってくれた教授は正しい。でも、同時に、そうさせる環境も欲しいよね、とも。


>一流といわれる施設ほど”思考回路のminority”に対する門戸が広いと最近感じる。

これは言い得ていると思う。






0 コメント:

コメントを投稿